こんにちは。
ブリッジライターNAOです。
突然ですが、あなたは南方熊楠をご存知でしょうか?
僕は大大大ファンなのですが、
たまに周りの人にこの名を出してみると、
予想以上に知名度がなくてビックリしている今日この頃です。
今回の記事はこの日本が世界に誇る大天才
(・・けど、奇抜すぎて日本の学界では評価されにくい)
「南方熊楠」という人物とその思想について、
「インターネット」との相似性を考察してみます!
でもその前に、
前回の記事でお知らせした勉強会をリマインド。
南方熊楠から見た、今西錦司の『生物の世界』
詳細についてはこちら↓
http://boom-nao.seesaa.net/article/daichi.html#mokuji8
(※5月25日追記)
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おかげさまで無事に大団円となりました。
その際に配布したレジュメ(pdf5枚)はこちら↓
https://boom-nao.up.seesaa.net/image/minakata-imanishi.pdf
スライド資料(写真、図解つき)はメルマガサイト内限定公開です。
メルマガのご登録はこのページの最下部に入力フォームがあります。。
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以下は、その勉強会をお知らせした
とある一斉配信メールに入れた文言です。
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課題図書の『生物の世界』(今西錦司著)を
1分ほどで概要をつかめるよう約1000字でレビューしております。
https://wp.me/p9lSyq-U
お越しいただける方だけでなく、残念ながら欠席の方も、
是非是非、お目通しくださいませ。
本書は、
”棲み分け”という現在では一般にも使われるようになり、
ダーウィン進化論を乗り越える画期的な考え方を生み出した、
日本が誇る生物学者、今西錦司さんの最初の出版本です。
「相似と相異」「構造について」「環境について」
「社会について」「歴史について」
の5つの章でシンプルに構成されていますが、
抽象的な思索がメインの”哲学書”であるため
速読ができる人でも1日や数日では
ちゃんと読めるようなものではありません。
それを前提として、
読んでいない方や、さらに「生物学」もよくわからない、
という方に向けたお話をしようと思っておりますので
必ずしも24日までにこの本の読了していなくて大丈夫です。
哲学書の解説だからといって浮世離れしたものに終わらせず、
経営や人生など実利的にも活かせるような視点を念頭において
ただいま準備しております。
楽しい話になると思いますので、お楽しみに!
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(転載ここまで)
それでは本題に入りますね。
・・いや、実は上記も本題だったのですが(笑)
本記事の以下の内容は、
その勉強会の予習的位置づけでもあり、
アーカイブ(記録)としての役割を持たせるつもりです。
ただ、大きく言えば、
真っ当な農業の方法が広がることや
平和な社会のあり方を問うための一石を投じることにもなる、
重要な考え方を示唆するものでもあります。
目次としてはこのとおり。
@南方熊楠の人物像
A「”人間版”インターネット」とは?
B南方マンダラについて解説
Cエコロジー・神社合祀反対運動
それでは、めっちゃ面白い人物と思想なので、
楽しんでいってみましょう^^
<@南方熊楠の人物像>
まず、実はブログ更新日の今日、
南方熊楠生誕150周年記念日なのです!
(1867年5月18日生まれ)
そのため、南方熊楠を研究している団体
(そういうものがあるんですよ〜。南方熊楠顕彰会というのかな)
の界隈の方々は、近ごろ盛り上がっております。
そんな南方熊楠とはどんな人物なのか?
サクッといきましょう。
以下の羅列した内容各々、
最新の研究や見解によっては「誇張なんじゃない?」
という部分も含まれていたり、正確性は欠けるのですが、
熊楠という人間像を大筋つかむものとしてはよいかと思います。
学問的な成果や凄さとしては
・科学誌『Nature』に歴代でも日本人トップの掲載数(51編)
・柳田國男と並び民俗学の創設者
・生物学(特に粘菌)、人類学、宗教学、民俗学など、とにかく広く分野横断的
・大乗仏教/真言密教を現代風に解釈した独自の思想
・20ヶ国語を話せた?(堪能なのは7ヶ国語くらいとも)
・日本で最初のエコロジー活動をした人物
目立った経歴やエピソードとしては
・徳川幕府から明治に変わる時代、和歌山県でトップレベルの富豪の次男として誕生
・10歳前後で百科事典を丸暗記するなど、驚異的な記憶力
・東大予備門(当時の日本で同世代トップ頭脳100人)で夏目漱石、正岡子規、秋山真之(日露戦争の英雄)などが同級生
・でも授業にほとんど出ずにすぐ退学
・20歳頃にアメリカへ留学
・そこでも大学は大酒を飲んでいて退学
・フロリダの親切な中国人に世話になり、植物採集など研究活動
・キューバに渡り、米西戦争に参加?(目撃しただけかも)
・中南米をサーカス団と一緒に回り団員へのファンレターの返信を代筆
・ロンドンの大英図書館でせっせと勉強(読書して筆写)
・『Nature』での掲載論文が評価され、貴重な東洋の知識を持った人物として英国の学者たちに重宝される
・孫文(辛亥革命のリーダー、中華民国の初代総理)ともロンドンで会い、親友に
・ケンブリッジ大学助教授に推薦されていたが、戦争や家庭の事情で帰国(30代前半)
・和歌山県の那智で隠棲し植物や粘菌の研究。『Nature』などに論文投稿多数
・和歌山県田辺市に移り住み、結婚(40歳頃)
・明治政府の神社合祀令(神社を行政区分ごとにまとめ減らす)に激しく抵抗。逮捕もされる。
・柳田國男の協力も得て、神社合祀反対運動は成功
・昭和天皇(※植物学者でもあります)に御進講(60歳頃)。学位が無いのに異例中の異例
・死後、脳を資料として大学に提供
・・これら書いている途中、
項目の多さに自分で書いておきながらビビりました(笑)
これでも控えめにしているんですよ〜^^;
<A”人間版インターネット”とは?>
始めに断っておきたいのですが、
この記事にタイトルにしているフレーズは
「南方熊楠はインターネットそのもの」という表現から着想を得ました。
僕のオリジナルではありません。
ジャーナリストの前坂俊之氏が2009年に
ブログでこのように書いていました。
以下引用
========
百年以上前に活躍した熊楠の活動は、今でいうインターネットWebそのものと言っていい存在であった。
世界中を歩き回って、英国・ロンドンで英語やラテン語など十数カ国後を駆使して知識、情報を集め、英語で多数の論文を発信し、故郷・和歌山に帰国した後も、生涯田舎(和歌山県・田辺市)に住んで、学会などには一切属さず、個人として、自由人として世界を相手に質の高い情報を発信し続けたことは正にインターネットそのものである。
========
詳しくはこちらの前坂氏の記事へどうぞ。
先述の面白エピソードも満載です。
日本リーダーパワー史 (22)
『世界の知の極限値』ーエコロジーの世界の先駆者だよ、南方熊楠先生は・・(上)
http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/3648.html
「インターネットそのもの」とは、
上記引用文の中から抜粋すると
「世界中を歩き回って知識、情報を集め、
個人として、自由人として世界を相手に質の高い情報を発信し続けた」
ということです。
さらにもうちょっと要点抽出し、僕なりに付け加えると、
「インターネット」とは、
「情報の広範囲の収集、網羅、並列に処理(整理/並び替え)、
そしてローカルからの自由な個人による発信 」
ということです。
このブログがそもそも『インターネットと農業』ですし
”インターネット”の機能や意味などについて元々関心があるので
僕も個人的に南方熊楠に興味をもって調べていくうちに、
「あれ、南方熊楠の活動って、
今でいうインターネットを使った情報活動と同じじゃね?」
と気づいて、ブログに書いてみよう!
と思い立ちましたが、
「南方熊楠 インターネット」で検索すると
すでに前坂氏が言っていたという・・
まぁ気を取り直して、オリジナル性はないですが、
あらためてこの記事で表現してみようと思います!
※『インターネットと農業』のコンセプトは
初回記事に詳しく書いています。
http://boom-nao.seesaa.net/article/319009463.html
<B南方マンダラについて解説>
さて、「南方熊楠=インターネットそのもの」は、
上記の活動の様子からしてそう言っているわけなのですが、
目に見える活動内容だけでなく、
熊楠の思想や学問の仕方も、
”インターネット的”だと思いました。
それを解説するにあたって、
「南方曼荼羅(マンダラ)」は避けて通れないでしょう。
この絵図のことです。
(画像は『南方熊楠-日本人の可能性の極限-』(唐澤太輔著)より)
(そもそもマンダラとは、
「この世界(宇宙)を表現した図」のことです)
この落書きみたいなウニにも見える絵は、
何なのか?どう解釈したらいいのか?マンダラなのか?
長らく熊楠研究の難題でした。
これを詳しく解説するには、
「物不思議」「心不思議」など人間が普段認識している世界の他、
その物心が重なって生じる「事不思議」(図のヌの線)とか
「理不思議」(図のルの線)のようになかなか知覚しにくい世界、
そして「大不思議」(この図全体を包括)という、もう完全に人智を超えた「無」の世界
(※「不思議」とはワンダーランド的な驚くべき世界というニュアンス)
この5つの世界(不思議)についても書くべきなのですが、
これについては
『南方熊楠-日本人の可能性の極限-』(唐澤太輔著)や
『南方熊楠-地球志向の比較学』(鶴見和子著)などの
書籍に譲ります。
(それぞれ約1000字でレビューしました^^)
この記事では、
この絵図のウニの部分、毛むくじゃらみたいな
線がぐちゃぐちゃ〜と絡まっているところに絞ります。
この線は、「ものごと」と、その「関わり合い」を表現しているのです。
あるものごとAと、別のものごとBは、
一見全然関係のないように思えても、たどっていけばどこかで関わりがあります。
(それが交わるところが図のイハホチリ)
「関わり合い」とは、今日の科学でいうところの「因果関係」です。
この世界はあまりにも要素が多すぎ、複雑すぎるので
なかなか「因果関係」は見えないことが多いですが、
それでも遠因なり、なにかしらでつながっています。
仏教用語でいうところの「縁」とか「縁起」です。
その縁起が見えやすいポイントが
例えば図のイのように多くの線が交わるポイントであり、
(これを「萃点(すいてん)」と呼んでいます)
ここを重点的に研究すれば、
いろいろなものが広く分かってくる、というものです。
さて、南方曼荼羅についての理解は
浅めにだいたいこんなところですが、
僕がこの絵図を初めて見たときは
「WEBにそっくりだな」という印象でした。
一般にインターネット系の知見を読んでいて
「WEB」を表現するとき、
まさに原語の「蜘蛛の巣」「網の目」のような図が出てくるわけです。
WEBの方では、
各端末(PCやスマホなど)同士が有線や無線で情報通信が繋がって、
サーバーという結節点がある、という様子を示しているので、
南方曼荼羅にそのまま当てはめられるわけではありませんが、
情報それぞれが複雑に絡まり合って、
並列的に処理(並び替え)され、
どの端末からも全体を網羅的に見られる
というイメージは、
南方曼荼羅の表現する「縁起」を思い起こさせますね!
<Cエコロジー・神社合祀反対運動>
南方曼荼羅の世界観にも通ずる圧倒的な比較/類推のセンスと、
異常な記憶力の恩恵である情報量により、
熊楠は民俗学(比較文化学)で多大な功績を残し、
柳田國男をして「日本人の可能性の極限」と言わしめました。
「日本の民俗学の母」とも呼ばれます。
(父が柳田國男)
ちなみに南方曼荼羅は、
粘菌の研究からヒントを得て着想したという説もあります。
(粘菌は、生と死、静と動、個と組織、動物的と植物的など、
どちらにも属さず行き来し、境界領域にいる変な生き物です。
粘菌については次回詳しく取り扱う予定です。)
そしてこの南方曼荼羅の世界観から生じた成果は、
民俗学にとどまりません。
熊楠は、この複雑怪奇な縁起のイメージを、
植物や菌類、粘菌などの採集/観察を通して体得していたため
「エコロジー」という概念を、
100年以上も前に明確に主張していたのです!
その時代、まだまだ日本には全く知られていなかった「エコロジー」を
強烈に世間に発信することになったきっかけがあります。
それは、明治政府による「神社合祀令」(1906年)です。
端的に言うと、
明治政府は国家神道を推し進めたいため
(あと、日露戦争で賠償金を取れなかったため財政難だったのを
木材輸出で換金化しようとしたことなど)
行政区分ごとに神社をまとめよう、という政策のことです。
つまり、小さい神社が潰され、その周りの森が切り開かれてしまいます。
この被害は凄まじく、日本全国で神社と森林が激減しました。
南方曼荼羅にあるように、
一見関係無いところでも破壊されたら
その影響は思ってもない広範囲に渡ることを、
特に自然の生態系において見抜いていた熊楠は
この大愚策に激しく抵抗しました。
新聞への寄稿で「エコロギー」という言葉を提示して、
植物学者や知識人たちに議論を巻き起こし、

(NHK『英雄たちの選択』より)
当時官僚であった柳田國男と文通するなかで協力を仰ぎ、
(経緯をだいぶ端折りますが)
1918年、とうとう神社合祀令を廃止させることができました。
熊楠にとって生きる事そのものである研究活動の多くを中断して、
実に12年間の戦いでした。
食い止められなかった自然破壊もたくさん出てしまいますが、
初めはたった1人で主張していたことが、
ついには国をも動かした驚くべき成果だと言えると思います!
熊楠はこのエコロギー(エコロジー)の概念を説くにあたって、
多くの言葉を尽くしましたが、その中で
「世界にまるで不要というものなし」
という名言を残しています。
100年以上たった現代、
この言葉を理解できている人はどれくらいいるのでしょうね?
・・さて、そろそろ、
生誕150周年記念の日のうちにアップするため、
まだまだ書き足りないですが・・ひとまず筆を置きます!
次回は「農業をする粘菌」について考えてみようと思います!
それでは、また来月!
ブリッジライターNAO
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当ブログのコンセプトと自己紹介を書いた初回記事
『インターネットと農業 とは』
http://boom-nao.seesaa.net/article/319009463.html
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