こんにちは。
ブリッジライターNAOです。
前回までの記事では
今西錦司の「今西進化論」の解説に腐心していました^^
今月からは、
今西錦司の思想の底流に
『善の研究』の西田幾多郎(京都学派)があることもあり、
「日本思想」の原点について探ってみようかと思います!
もちろん「農業」の切り口をもって^^
というわけで、日本人の心に根付いていそうなこととして
まず最初に思い浮かぶ、
「神道」について書いてみようかと!
・・って壮大そうなテーマですけど、
専門家でもないので膨大な情報量は持ってはいないし、
今回は、昨年10月の映画評の記事と同様
(『君の名は。』と『シン・ゴジラ』と、『インターネットと農業』と)
勢いのまま書き下す形でいこうかと思います!
とはいえ、
一応ガイドマップとして目次を。
@オオゲツヒメ殺しにはどんな意味が?
Aなぜ「年貢(=税)」を納めるのか?
B勉強会おしらせ(安冨歩さんら)
で、本題に入る前に注意点を。
僕は個人的に趣味趣向として日本思想に興味があるだけでして、
神社の関係者でもなく、仏教徒でもなく、
もちろん一神教系(キリスト教やイスラム教など)の団体や
新興宗教っぽいところとの関わりは、一切ありません。
だからこそ中立的に書けるのが強みかと。
そのぶん、知識は穴だらけですが、
間違っていると簡単に確かめられることを
断定調で書いたりもしないように気をつけています。
また、流れによっては本文中に、
例えば今回であれば神道の中のとある部分を
批判的に考えたり、揶揄するような表現をしたり
する場合も出てくるかもしれません。
特に力も責任もないアマチュアゆえ、
ご容赦くださいm(_ _)m
(誤解のご指摘、コメントでのご助言は歓迎いたします!)
で、今回の神道では、神話に登場する神様も扱いますけど、
その家系図だとか、◯◯神と△△神は同じだ!とか、
複雑に諸説・議論が専門家の中でもありまして、
ネット情報では陰謀論的にも使われたりしてややこしいので、
この記事中では
「◯◯神は**神から生まれ、△△神と〜〜な関係性があり、云々・・」
というのは触れません。
その点もあらかじめご了承ください!
それではそろそろ、本題に入ってみましょ〜
@オオゲツヒメ殺しにはどんな意味が?
・・いきなり「殺し」とか怖いワードが飛び出してきちゃったし、
まずそもそも、あんまり「オオゲツヒメ(大宜都比売神)」って知名度ないですよね?
なので、まずは『古事記』に出てくるエピソードをご紹介。
※ここは手抜きをさせていただいて
神学の先生が管理している講義録のホームページより引用します^^
http://www.aguro.jp/d/file/r/reli41.htm
***********
地上に降りたスサノヲはオオゲツヒメという食べ物の神のところへ行き、食べ物を求める。オオゲツヒメは食べ物を口から吐き出し、また鼻の穴やお尻の穴からも出す。女神が身体から排泄物のように食べ物を出すのをみたスサノヲは、汚いものを食べさせられると思い、憤慨してオオゲツヒメを殺してしまう。その後、この女神の死体の頭からはカイコが、両目からは稲が、両耳からは栗が、鼻からは小豆が、陰部からは麦が、お尻からは大豆が発生した。そこで高天原にいるカミムスビ(神皇産霊)というカミがこれを見て、それらのものを取ってこさせ、種にする。人間の農業はここから始まったと、神話は述べる」
***********
農業の開始の神話的描写ですね。
ちなみにこのエピソードの前後の話は非常に有名です。
アマテラスオオミカミ(天照大御神)のところで
スサノオノカミ(素戔嗚神)が傍若無人に暴れまわって、
天上界を追放されるところと、
(そしてアマテラスは”岩戸隠れ→岩戸開き”)
スサノオが奥出雲でヤマタノオロチを退治して
草薙の剣やクシナダヒメを嫁にゲットする話
・・の間に、唐突に不自然に挿入されています^^;;
まぁ話の流れの違和感は『古事記』編纂のときの
大人の都合か何かでしょうから気にしないでおいて、
この「オオゲツヒメ殺し」のエピソードへの率直な感想は、
「なんで食べ物について下品な表現をするんだろう?」
「おもてなしをしてんのに殺すなんてヒドイな〜」
というところですね。
この2つの感想・疑問を合わせて考えてみたところ、
農業は自然破壊(自然支配)であることの隠喩かな?
と思いました。
まず、古事記にある日本神話に限らず、
女神の身体(死体)から食物(穀物)が得られる、
ということに似た内容は
けっこう世界各地に伝わる伝承・神話で見られます。
豊穣の実りをもたらす大地 = 女性・その身体・死
という「大地母神」信仰は世界共通のベースのようですね。
そしてこのスサノオが
「汚らわしい!殺してやる!」となっているのは、
自然の恵そのままでは食べにくいものを
自分(人間)の手によって切り刻んで(栽培・加工)
管理してしまおう、
という考え方が透けて見えるのかな〜
と思いました。
この見解については古事記解説関連の書籍やネット情報では
いまのところ他に見かけておらず、
あくまで僕個人の思いつきですが、
農業というものは、
自然からの恵み・自然との共生であるのはもちろんとしても、
やはりなんだかんだ、自然破壊の原点なんですよね。
まぁ、だからどうしろ、というのは
次の段階の議論になるので、
今回の記事ではこの見解を出したところまでとします!
Aなぜ「年貢(=税)」を納めるのか?
さて、次の話は@とは打って変わって、
いきなりクリティカルと言いますか、
リアルな生活感もあるネタの「税」となります(笑)
この話題が思いついたのは、
『もののけ姫』の世界観にも影響を与えた
トリッキーで偉大な歴史学者、網野善彦氏の本を読んでいて、
ふと手が止まった箇所がありまして。
**********
人の働いたものを他人があっさり持っていくなんてことは、そんなに簡単にできることではないはずです。実際、なぜ百姓は年貢を出すのか。これはまだわかっていないことなんですね。
いずれにしても、このように不自然なことをやるときには、必ずそれを「自然」な論理でごまかす。つまり、一度「自然」な論理にすり替えなければならないわけです。そうでもしなければ、人間が人間を支配するなんていう不自然なことは、本来的にできるはずがないと思います。
**********
(『列島の歴史を語る』p137)
・・う、う〜〜ん・・たしかに・・
いや、税金、ちゃんと払ってますよ?
それが公共サービスの予算に組み込まれ
(実際そうじゃない部分があるとしても)
住民である自分に還元されているのだ、という暗黙の了解のもと、
それほど嫌々渋々でもなく。
まぁでもたしかに、そう言われてみれば、
突き詰めて考えてはいなかったことですね。
なんで百姓(=一般の生活者)は年貢(=税)を出すんでしょうね?
日本史上、ときどきは飢饉の時とかは百姓一揆は起こりますが、
あれも「今年は年貢をまけろ〜」「年貢の比率を下げろ〜」
とは主張していても、
「俺たちは今後2度とあんたら領主に年貢を納めるつもりはない!」
とは言ってませんし、考えてもいないそうです。
(文献によると)
豊作の時に、納得できる率ならば素直に年貢を納める、
というのは暗黙の了解どころか、深層心理にまで、いや、
集団・文化的に広く深く根付いた感覚なのでしょう。
なんでそんなことができるのか?
ヒントとなる神話のエピソードはこれかな、
というのをひとつ。
『斎庭の稲穂の神勅』のくだりです。
*********
アマテラスオオミカミが争いの絶えない地上を治めるため、孫のニニギノミコト(天皇家の祖先)を遣わします。その際、「天上界の田で育った稲を地上に植え、 天上界のような稔り豊かで安定した国にしなさい」 と言われました。 ニニギノミコトは地上に降臨し、”斎庭の稲穂”を平和の祈りを込めて蒔き広め、みずみずしく育った稲穂の様子から瑞穂の国と呼ばれるようになりました。毎年の実りはアマテラスへの感謝のしるしとして捧げられています。
*********

日本列島の稲作文化のルーツは、この神話で説明されるようですね。
うがった書き方をすれば、
日本人の心の基底は稲作にある!と権威付けをしている
役割を果たしているわけです。
このエピソードに由来した主な祭事はこの2つ。
「神嘗祭」(10月17日)と「新嘗祭」(11月23日)
・・似すぎていて紛らわしいですね(汗)
執り行われる場所は違いますが、
どちらもその年収穫された新米をアマテラスへ感謝して捧げる意味で
同じような役割をもつ重要な神事です。
詳しくはこちら参照↓
神嘗祭と新嘗祭の違いとは?その意味と起源について
(日本文化研究ブログ Japan Culture Lab)
http://jpnculture.net/kannamesai-niinamesai/
さてさて、この「いい話」がどのようにして「税」の話に?
カンの良い読者の皆様はもう
なんとなく繋がってきたのではないでしょうか。
収穫されたお米は、
もともとは天上界から、その代理人である地上の統治者(天皇家)を通じて
いただいた(借りた?)ものであり
贈り直さなければ(返さなければ?)ならない、
という「論理」です。
お米は、上手に育てれば1粒から3000粒ができるわけですから、
けっこうな利息をとっても妥当なわけです。
この権威(神話)という論理と、実りの歩合から、
支配される側は特に疑問に思うことなく
毎年、”自然な”気持ちで貢ぐことができるのかもしれません。
(少なくとも古事記・日本書紀で権威付けされた
大和朝廷の支配力が及ぶ地域では)
さらにもう一個、余談になるかもしれませんが、
これに関連していそうな仕組みの例として、
「出挙米(すいこまい)」があります。
”出挙(すいこ)は、古代から中世の日本に見られた利子付き貸借を指す用語”
(ウィキペディアより)
要は、出挙米の場合は、田植えの時期までに
支配者が領民に種もみを貸し与え、
収穫されたら利息をつけて回収する、
というもの。
その回収された種もみは、いったん都の天皇のところ
つまり天上界とつながるところに持って行き、
神聖な力を譲り受けて、再び次の年の種もみになる、
ということもしていたようです。
つまり、権威ある神聖なものからお墨付きを得て、
それを広く貸しつけて増やす、
まさに「金融」そのものですね。
さて、話が広がり過ぎそうなので今回はこれくらいにしますが、
当初の「日本思想の原点」というのを
探れているのかどうかは不安ですね(汗)
答えらしきものに至らず、
ただの問題提起でとどまった感もありますし、
「自然破壊」とか、「納税」「金融」の話に
なっちゃましたから(苦笑)
まぁ、考える材料の提供だった、
ということにしてくださると嬉しいです!
次回は日本思想のもう一つの柱
「仏教」について取り扱ってみるつもりです。
では最後に、今後のおしらせをいくつか!
B勉強会お知らせ
勉強会のお知らせに入る前に、
僕が個人的に応援している活動の紹介をさせてください。
【ホトカミ】というサイトをご存知ですか?
https://hotokami.jp/

神社・寺院にお参りしたときの記録をすることができる、
SNSっぽい機能もある神社仏閣の総合情報サイトです!
御朱印帳集めとか、散歩で神社めぐりなどが趣味の方には
もってこいのサイトじゃないでしょうか?
(※10月7日追記:ヤフーニュースにも掲載されましたね。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171007-00000004-zdn_n-sci )
日本の文化・思想を大切に残したいという想いで
立ち上げられた、なかなか他にないサービスなので、
ぜひ応援したいと思っています!
※投稿をすることで、出雲大社へ代理で奉納してもらえる企画もあります。
https://hotokami.jp/main/happy
さあ、やっと勉強会のお知らせです。
9月と10月の2つありますが、
今回は著名なお方も含まれていますよ!
9月26日(火)19時〜、都内港区某所で
(仮)「スピノザと合理的な神秘主義」と題して、
安冨歩さんと寄田勝彦さんがご登壇されます!
(※勉強会終了後に追記:
無事に終了しました。ブログによる報告はこちらです↓
http://bridge-writer.com/member/cf/yasuyori )
寄田勝彦さんはホースセラピストの方だそうです。
そしてもう1人の安冨歩さんは、
「東大話法」というキーワードを世に広め、
その後にトランスジェンダーであることに気づいて
「女性装の東大教授」としてメディアでも露出を増やした人物ですね!

(↑本の表紙画像をクリックすると、
1分で読めるように要約したサイトに飛びます)
たぶん仮題の「スピノザと合理的な神秘主義」
とは全然違う話になる可能性もあるゆるい勉強会なので(笑)、
どんなお話になるのかわりませんけど、楽しみです!
参加したい方、
もしくは参加できるかどうかわからないけど
場所などの詳細をとりあえず知っておきたい方は、
このブログのページの最下部にある
登録フォームからメールアドレスなどを入力してくださいね^0^
(※勉強会終了後に追記:
無事に終了しました。ブログによる報告はこちらです↓
http://bridge-writer.com/member/cf/yasuyori )
さて、ビッグネームの後なので恐縮ですが、
10月19日(木)19時〜、都内品川区某所で、
量子論(素粒子論)×『般若心経』
の演題で、僕が話します^^
量子論も般若心経もどちらも全くの専門外ですが、
この2つのつながりが見えてくる喜びから、
楽しい感じで話せるような気がしています^o^
こちらも同じく、
参加したい方、
もしくは詳細をとりあえず知っておきたい方は、
最下部の登録フォームによろしくお願い致します^^
追記:勉強会のメーリングリストに書いた詳細な案内文です。
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「量子論」と「般若心経」?
無理矢理こじつけているんじゃないの?
・・と思われてしまいそうなほど、
この2つは離れた領域の分野ですね。
それでもなお、部分的ではありますが
「量子論と般若心経は同じことを言っている」
ということを示す予定です。
実際、実は「科学」と「仏教」には
「現象世界を法則性によって説明する」
という共通の目標・方針があります。
だからと言って
釈迦は2500年も前に最先端の物理学を知っていた!
などとオカルトなことを主張するつもりはありませんが、
曇りなく真摯にものごとを思考・観察してみると
どうやら同じような世界観が現れてくるようなのです。
その上、前回の安冨さん寄田さんのお話で
キーワードだった「神秘」も含まれています。
若輩者ゆえ仏教の示す人生訓のようなことまでは
立ち入ることは憚られますので、今回の講義では、
この一見難しく、離れた2つの分野の共通点を
いかに数式を使わずに解説できるか、に集中します。
(でも、虚数「i」だけは登場させてください・・)
予備知識のない方も想定して準備いたしますので、
予習は不要で、どうぞお気軽にお越しください!
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それでは、また来月!^^)/
ブリッジライターNAO
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当ブログのコンセプトと自己紹介を書いた初回記事
『インターネットと農業 とは』
http://boom-nao.seesaa.net/article/319009463.html
FBページ版インターネットと農業もあります。
インターネットと農業の可能性を広げることに関連する
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